アンダルス
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アンダルス(Andalus)、アル=アンダルス(アラビア語:الاندلس, al-Andalus)とは、イスラム世界において歴史的にスペインのアンダルシア地方を中心とするイスラム勢力統治下のイベリア半島一帯のことを漠然と指す呼称。レコンキスタでイスラム勢力統治領域が狭まっても、史料でキリスト教諸国の領域はアンダルスとして扱われることはほとんどなく、レコンキスタ最末期に「アンダルス」との言及があれば、それはナスル朝の領域を指す。
アンダルスの対岸であるマグリブで強勢を誇ったムラービト朝、ムワッヒド朝、マリーン朝の君主たちは、カスティーリャ王国などカトリック王国のレコンキスタに対し、イスラム教の勢力を維持し、タイファ諸国(後ウマイヤ朝滅亡後のイスラム小王国)を援助する名目でアル=アンダルスに影響力を及ぼそうとしばしば試みた。
スペインのカトリック両王によりアンダルスは征服され、その後イスラム、ユダヤ教徒の強制改宗や追放が行われた。アラビア語は禁止され、又言語純化政策の中でスペイン語(カスティーリャ語)の中の大量のアラビア語語彙も排撃の対象となった。それにもかかわらず現在のスペイン語には四千語に渡るアラビア語系語彙が残存し、又南部アンダルシアやムルシアの文化、習俗はイスラム時代のそれを強く残している。イスラムによってもたらされた工芸、建築技術、農業技術などはスペイン全土にその影響をとどめている。スペインを象徴するアルハンブラ宮殿は元々ナスル朝グラナダ王国の居城だった。このことから、「カトリック両王は軍事的には確かにイスラムを征服したが、文化的には遂にイスラムを屈服させられなかった。」ともいわれる。
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アンダルスの語源
ゲルマン人の一派ヴァンダル人(アラビア語 アル・アンダリーシュ)の名前が訛って変化したものと考えられている。
イベリア半島上陸
イスラム教徒によるイベリア半島の征服活動は711年にウマイヤ朝のアラブ人総督ムーサ・イブン・ヌサイルのベルベル人解放奴隷ターリクが、イスラム教に改宗したばかりの7000人のベルベル人兵士からなる軍を率いてジブラルタルに上陸したことから開始された。イベリア半島における征服活動が一段落すると、アラブ人、ベルベル人兵士はそのまま留まり都市に定住し、その後もアラブ人やベルベル人の移住が続いた。
経済的繁栄
イベリア半島に定住したイスラム教徒は、イスラム世界の先進的な農業技術を伝え、灌漑を行って、農地の拡大に努めた。綿花、サトウキビ、米、桃、ザクロ、サフラン、などの東方作物の移植も進んだ。都市では繊維工業、製紙工業が盛んとなり、コルドバ、マラガ、アルメリアの絹、羊毛、ベザ、カルセナの絨毯、マラガ、バレンシアの陶器、コルドバ、トレドの武器、コルドバの皮革、ジャティバ、ヴァンレシアの紙というように、各地で名産が産まれ、地中海沿岸の諸都市を拠点にして、エジプト、シリア、ビザンツ帝国のコンスタンティノープルとの海上交易が盛んになった。アンダルスの物産が東方イスラム世界やビザンツ帝国に輸出された。
関連項目
- モサラベ - アラブ化したキリスト教徒